紅月之記




円い月が、人の住む世界をやわらかく照らし出している。
―――五丈原。狭いところでは幅わずか五丈と言われるその台地で、多くの人間たちが互いを 滅ぼさんと蠢(うごめ)いていた。
 日中ならばさぞ凄惨であろうその戦いも、柔らかな月明かりが照らしているために、静寂なる 闇に命が喰われているのだとしか思いようがなかった。


 司馬懿は高台の陣中から、敵味方の松明(たいまつ)が動く様子を見続けている。


 既に両陣、援軍は出尽くした。投石も全弾打ち尽している。後は互いの兵力そのものだけが、 雌雄を決する要因となるに違いない。そしてその結論を得るために、闇は更に多くの生贄を欲し 続けることだろう。
 人の世の行く末を決する戦には単純な二択しか存在しないのに、そのためだけにかくも 凄惨なのだ―――。
不器用なものだ、と彼は小さく呟いた。それが聞こえたものかどうか、歴戦の勇将・張遼が隣に 来て馬を立てる。



「消耗戦でございますな」



 司馬懿は戦場を見続けながら頷いた。



 
「だが、あの諸葛亮のことだ。ただの消耗戦には、してはくれるまいがな。」



そう言っておいて、司馬懿は楽しんでいる己に気が付く。


―――業(ごう)、というものか。


張遼に気づかれぬ程度に、微笑みを浮かべた。
多くの命を闇に喰らわせながら、その生贄となることを哀れと思い、同時に楽しいとも思っているのである。自分は一生血塗られた道を歩んでいく。そして己の子供たちもまた、戻り道のない業の渦中に身を投じていくのだろう―――。 司馬懿はふと戦場を直視できなくなり、天を仰いでしまう。
円い月が、心なしか紅(あか)い。



―――だが人とは、所詮愚かなものなのだ。



自分には及びもつかぬ未来まで、このようで在り続けるに違いない。



―――それゆえに、愛しいのではないか。



 彼は勝手にそう結論を導き出すと、再び戦場に蠢く松明を見据えたのであった。業から逃れようなど、 愚かしいことだ。どうせ血塗られるのなら、己の意思で血塗られてやるのが、いい。
 戦場を見据えながら、司馬懿は今度こそ不敵に笑みを浮かべた―――が、しかし。
松明の動きが、不審であることに気付く。隣に並んでいた張遼も、いつしか眉をしかめていた。



「あれは・・・?」



本陣の程近いところに、味方とは思えぬ動きをするものがある。しかも真っ直ぐこちらを目指して やってくるのである。周辺には多勢の強兵を配してあるのに、それらは次々と抜かれていた。



「奇襲か!」



張遼がすかさず本陣の兵たちに声をかけ、守備を固めさせる。
遅れて、満身創痍の伝令兵が飛び込んで来た。



「本陣に向けて奇襲!敵将は王平が101人!!」



それだけ言うと伝令はばったり気絶してしまった。











・・・・・・。














王平が101人








 張遼がどういうことか、といった風に司馬懿を見る。それを受けた彼は、手早く伝令兵の手当てを 命じながら、肩を竦めた。倒れた伝令を小一時間ほど問い詰めたいのは司馬懿も同じである。 だが死を賭して駆けつけてきたものだ。その言に嘘はあるまい。


しかし、王平が101人・・・。


既に馬蹄の音が近づき、剣戟の交わる音が近くで聞こえ始めていた。



「来るぞ!」



 もはや考える暇(いとま)はない。司馬懿は黒羽扇を構えなおす。多勢の騎馬の蹄(ひづめ)が 高台へと駆け上がってくる。



王平101人隊、見参!!



101頭の馬が同時にひひーん、といななく。














・・・・・・。














伝令の言に嘘はなかった。現に量産型武将が101人、王平と名乗って凄んでいる のだから。
ぼそりと張遼が呟いた。





関興とか張翼とか厳顔とか は、混ざってないだろうな・・・?」





101人の王平(自称)は202の眼を血走らせて、全員ではき捨てる。



「問答無用!!」



 雪崩の勢いで打ちかかる101人の王平(自称)。だが、魏陣にも多勢の強兵が詰めている。すぐさま 彼らを囲んで応戦にかかっていた。
 司馬懿もまた5人の王平(自称)と渡り合い、切り結ぶ。切り結び合いながらも、思考していた。 それが軍師としての彼の役割であり、性(さが)である。そして仕掛けた諸葛亮の意図を探ることが、 この不可解な奇襲を退ける鍵であるように思えた。











何故、王平なのか。101人なのか。











いや。なぜ王平でなければならないのか。











101人でなければならなかったのか。











ふと、思い至る。























―――101匹の王(ワン)ちゃん大行進―――





















 いつの間にか、口にしていたらしい。ぴたりと剣戟の音がやみ、兵士たちが全員、泣きそうな顔を して司馬懿を見ていた。
気が付くと王平(自称)たちが、わらわらとひとところに集まっている。全員で一斉に騎乗すると、 101の口で同時に一喝した。



「今日のところはこれまでだ!!臆病な司馬懿よ、我等が怖くないのなら出て来て戦え!」



―――図星だったらしい。ちゃっかり挑発までして、帰っていった。
地に手をついて、ただただ呆ける司馬懿と張遼。その肩に後から手が掛かる。彼らがおもむろに 振り返ると、どこから湧いて出たものか、宿将張コウが、「華麗に」天を仰いでいた。














「ふっ・・・。基本は常に、美しい。」











―――この言葉が、士気の低下し続ける魏陣を救ったかどうか、明らかではない。










 
 
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