火焔円舞曲 

 

     鳶が空高く孤を描き、地上に小さな影を落とした。
祝融は額に手を掲げ、空を眺める。もう既に日は高く、うだるほどに暑い。周りでは女たちが、 刈り取った大麦から実を落とし、臼を挽き、麦藁を束ねている。
農作業は長く単調だ。彼女らは作業に合わせ、素朴な音律の歌を幾重にも声合わせて歌っていた。 その繰り返しを日が上る前から、ただただ続けている。

  
今日はそろそろ、おわろうか―――。祝融は、女たちに声を掛ける。
 

彼女らは手を止めて祝融の言葉に応じ、臼や麦藁を片付け始めた。集落の方を見ると、 村の年寄りたちが午飯(ひるめし)を準備する煙がたなびき始めている。
祝融はすべての作業が終わり、皆が帰ったのを確認すると、自分もまた集落への道を歩き始めた。


「姉様!」



涼しく弾むような声で彼女を呼び、手を振るものがいた。妹の精衛である。



「ああ。待っていてくれたのかい。」



 目を細める祝融に精衛は頷く。二人で村へ下る道を行きながら語り始めた。


「姉様。麦刈りも終わったし、そろそろ火把節(フオバージエ)が近いね。」



 姉である祝融はただ、ああそうだね、と応じた。
素っ気無さそうに見えて彼女の目は笑っているようでもある。

火把節(フオーバージエ)―――。農暦六月二十四日、松明(たいまつ)を各家の門に掲げ、来年の 豊作を祈る彼女らの部族の祝祭。その日その日を素朴に暮らしている彼らだが、この日ばかりは老若 男女着飾って、その年に収穫した作物で馳走を作り祝う。
 今年は豊作であった。誰も楽しみにしないものなどいないだろう。
 だが、目下精衛の気になることとは―――。


「今年の游方(ヨウファン)には、従兄弟の孟獲さまもおいでになるんですってね。姉様は、知ってた?」



祝融は頷いて、あきれたように言う。


「親父様が何度もわざとらしく仰っておいでだったからね。耳にタコさ。」



游方(ヨウファン)。―――男と女が即興の歌を幾時間も掛け合い、互いに気に入れば恋仲にもなる。 夫婦にもなる。日本では歌垣(かがい)と呼ばれ、とうに絶えた文化でもある。
 祭りはまた若いものたちが最も楽しみとするところだった。


「やっぱり・・・、だと思う?姉様。」



精衛は少々歯切れが悪い。だが祝融は意外にも淡々として妹に応えた。


「そりゃそうさ。私たち姉妹の中から花嫁をとろうってことに違いないさ。」



 彼女らの部族には一家の男児が、その従姉妹を花嫁候補として選ぶ習慣がある。
だが一口に従姉妹とは言っても、婚姻を結ぶのは両親とは異性のおじやおばから生まれた従姉妹で なければならなかった。両親の同性兄弟から生まれた従姉妹との婚姻は「同族婚」として忌ま れていたのである。
―――そしてまさに、「孟獲さま」の父方の叔母は彼女たちの母親だった。
とはいえ、遠くの村に住む「孟獲さま」に会ったのは、祝融が幼い頃に1度きり、精衛は未だ 名を聞くのみである。彼女がやきもきして気にするのも、無理からぬことであっただろう。


「お前は今年から游方(ヨウファン)に参加できる。これで花嫁選びでない、ってことは ないだろうさ。」



 
「姉様は・・・」



 精衛が不思議そうに口を開きかけた時、小さな女の子が息を切らせて駆けて来た。


 
「祝融!」



 少女は祝融を呼び捨てにできる数少ない人物である。


 
「―――どうした?」



祝融は身を屈めて、視線を少女の背の高さに合わせた。


 
「お願い!助けて!!」



いつもこましゃくれて元気な少女であったが、この時は何か様子が違っていた。


「村の市で姉さんたちが漢人にからまれて逃げられないでいるの。男たちもまだ 帰ってこないの。」



 祝融は形の良い眉を顰めて舌打ちする。


「―――またかい。漢人にもほとほと困ったもんだね。精衛、先に帰ってな。」



そう言うと彼女は投孤刃を掴んで疾風のように駆け出した。





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 駆けながら、祝融は思い出す。
この頃聞く話では、漢の国は麻のように乱れ、かの地は身分の高い者から民草まで骨肉を喰らいあう ような状態なのだという。
 祝融の住む村の市にいる者と言えばもともと、他の部族の者や北方から行商に来る者だったのだが、 最近は得体も知れぬ漢人どもがどこからともなく流れてきて、狼藉を働くことが多くなってきた。
 それもやはり漢の国、特に中原とやらの乱れが原因であることなのだろうか。

―――迷惑だ。

 祝融は舌打つ。彼らは何の罪もない弱い者たちを、自分たちの不幸の巻き添えにしようとしているか のようである。

 山道を下りきり、市に到着する。数人の男たちが、同朋の女二人を囲んでいるのが見えた。
 やおら手にした投孤刃を、男たち目がけて投げつける。それは女の肩に手をかけようとしていた漢人の 腕を深く抉った。男は情けない悲鳴を上げて倒れる。その隙を見て、女の一人がすばやく後方へと逃れた。 投孤刃は空で大きく孤を描くと、次の瞬間には祝融の手の中に戻っている。


「不心得の漢人ども!次は怪我だけじゃ済まさないよ!!」



 祝融の気迫に、男たちはたじろく。だが次には薄笑いを浮かべて開き直った。


「ふん。蛮夷の女が舐めやがって。文明に逆らえばどうなるか教えてやる!!」



 彼らは素早く刃物を懐から取り出し、逃げ損ねたもう一人の女の喉元にあてがった。


「文明とやらが聞いてあきれるね!」



 口の片端で笑いつつも祝融はじりじりと間合いを計り、捕まっている女を無事に 取り戻すべく男たちの隙を窺った。彼女は悲鳴も上げない。必ず祝融が助けてくれるものと 信じ、目も閉じないで耐えている。

ふとその時、老人や女たちが作る人垣の後方から大柄な男が様子を見ているのに、祝融は気がついた。

―――漢人では、ない。

紅い黥(いれずみ)を、顔に施している。
漢人は黥(いれずみ)を罪人の印として嫌がる。しかし村のものでもない。余所者か――― そう思ったとき、その男が、祝融に目配せをくれ、そのまま人垣から消えた。


―――次の瞬間。


轟音が弾け、男たちの傍らにあった棕櫚(しゅろ)の木が吹き飛んだ。
木片や葉が、ばらばらと降りかかり、漢人の男たちは一瞬人質の女から注意をそらす。

 その隙を祝融は見逃さない。

至近距離からの投孤刃の一撃で、男の手にしていた刃を叩き落し、返す刃でその鳩尾(みぞおち)を 確実についている。祝融の攻撃はそれで止まなかった。飛びかかろうとした別の男の足関節に蹴りを 入れて地に倒すと、次の瞬間にはその胸板を踏みつけ、喉元に投孤刃をつきつけていたのである。


「さあ、この喉潰してやろうか」



 祝融は真紅の唇で挑発的に微笑んだ。
だがもうその返事を聞くことはなかった。―――既に男は気絶していたのである。





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 その後のことは、簡単だった。
 男たちが丁度山から帰ってきたのである。不届きな漢人たちは彼らに連れて行かれ、村の法にかけられる こととなった。女たちが無事に帰って行くのを見送り、ふと祝融は周りを見回した。
未だ崩れぬ人垣の中―――、精衛が立っている。祝融は苦笑した。


「帰ってろ、って言ったろうに。」



妹は目を輝かせている。


「もう。ずっと見てたわよ。姉様、かっこいい!!」



―――ずっと?


「じゃあさ。お前、この中にいた、抜きん出て大柄な男、見てないかい?顔に紅(あか)い 黥(いれずみ)を入れた奴。」


精衛はきょとん、としている。


「知らないわ。そいつが、どうかしたの?」



 妹に聞かれ、祝融は珍しく言葉を濁した。


「いや。・・・なんでもない。」



―――棕櫚の木を砕き、漢人たちの注意を引いた男。どこかで会った、と思うのは気のせいだった ろうか―――

  記憶の糸を辿る。だが、精衛が帰ろう、と声を掛けたのを機に、彼女は思考を閉ざし、家路へとついた のである―――。







 

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