五丈原双星記




 建興十二年、冬。蜀軍は秦嶺山脈を越えて関中に進撃、渭水河畔の五丈原で魏と対峙した。
戦況は長期戦へと突入。百日余りのにらみ合いの末、蜀漢丞相諸葛亮はついに討って出る決意をした―――。



 血は足元の大地をぬかるませ、屍は山となって戦場を覆っていた。
 まさに非情の地獄絵図の中、彼は立っている。近辺の敵拠点を圧し、敵将を討ち取り続け、 ここではもはや彼とその周辺でしか動くものはいない。
 魏延は、「双極星」と銘のついた双刀の槍を一振りし、血糊を落とした。とうに息が上がり、 全身を消耗しきっている様子が、傍からでも見て取れる。だが彼の口から、一言の言葉も洩れる ことはなかった。味方の救援に行くべきなのであろうが、この状態ではいささか心もとない―――。 と、そこへ伝令の兵卒が駆けつける。


 「丞相閣下より、東の平地に木牛が到着している、との伝令でございます。補給の薄い部隊は そこで回復を図れ、と。」


 仮面の下の表情は読むことはできない。是とも否とも判断がつかなかったが、慣れているものか 兵卒は一礼して走り去った。魏延は指定の場所へ、自らの部隊を引き連れて向かう。
―――木牛。諸葛亮の、数多い発明品のひとつである。兵士一人一年分の食料を搭載できるという 「流馬」と併用された機能的な運搬車。―――その中を開けて、魏延は自らの体力を回復し、兵士たちにも 中身を分け与える。
 だがしかし。彼は木牛のひとつを開けて、目を疑った。孩子(こども)が入っていたのである。 どうやって入り込んだものか。おおかた飢えて盗もうとしたのであろうが―――。


 

「失セロ小僧。死ニタイカ」



 金色に輝く双刃。その一方を首にあてがった。
 戦場で孩子を放り出す。―――もちろんそれがどういうことか、承知の上である。
 しかし意外にも孩子は面と向かって、言った。


 「我が名は諸葛瞻。蜀漢丞相、諸葛亮の一子なり!文句があるなら丞相閣下の前へ連れてゆけ!!」


 ふん、と鼻を鳴らしたが、強がりである。小刻みに震えていた。しかし言われてみれば、確かにその 面立ちはどこか諸葛亮に似ているかもしれない。
 仮面の目が見据えた。ふいに首にあてられていた武器が引かれ、もう一度諸葛瞻に向かって伸びる。
殺されるのか。孩子は目を瞑った。だがその刃は彼の襟首を引っ掛け、ぶらんとぶら下げたのであった。 魏延はそのまま柄を肩にかけて騎乗すると、本陣に向かって全速で馬を駆ったのである。


 
「下ろせーっ!!!」


やはり彼から言葉は発せられない。

本陣前に到着すると、魏延は乱暴に双極星を一振りして諸葛瞻を地面に落とす。


「痛たたた・・・」


「行ケ」


砦の入口を指差した。まっすぐに行けば、諸葛亮の陣に着くはずである。


「ちぇ―――・・・」


と、少年が舌打ちしたその時であった。
 魏延は月影が翳るのを見た。全身が総毛立つ。とっさに諸葛瞻を抱えて転がる。恐ろしいほどの衝撃。 土埃が辺りにたちこめた。


「本陣へ投石!曹洪の陣を急襲し、投石を中止させよ!!」


 兵士たちが色めき立ち、伝令が飛ぶ。
 魏延は、というと諸葛瞻を抱えたまま、城壁の縁に張り付いていた。魏延の血が、ボタボタと 幼い諸葛瞻の上に落ちる。直撃は免れたものの、どうやら割れた破片が当たったものらしかった。 孩子は青くなってガタガタと震えている。


「オソロシイカ、小僧。コレガ戦場ダ。―――ダノニ、ナゼ来タ。」


 瞻、この時八歳。諸葛亮は、呉に仕える兄の瑾に、「瞻は利巧で可愛い子なんです」と 書き送っている。つまるところ、偉大な父に溺愛されて育った甘ったれなのである。だが、 孩子は泣いてしがみつきながらも、言った。


「しょ、蜀は―――ぼ、僕が大きくなったら守る国だ!だ、だから!父上が戦っているのを 見たかったんだっ!!でも、だけど―――怖い。怖いよう。」


 魏延が、何かを云った。―――地響きが、それをかき消す。
 瞻はふと泣き止んで魏延の顔を見上げた。仮面の表情は変わることはなく、いぜん投石も 続いていたのだが、孩子の涙も震えも、止まっていた―――。
 瞻が何を聞いたのか―――、それは史書には残されていない。


 

 
 
 

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